さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます上にあるものに心を留め、地上のものに心をひかれないようにしなさい。
(コロサイ人への手紙3:1~2)

いわゆる上昇志向とはちがいます。
もしキリストが、この世的な上昇志向にとらわれていたなら、あの十字架はありません。
キリストは徹底してご自分を低くされ、十字架で死なれました。「このため、”神は”キリストを高く上げ」られたのです。(ピリピ2:9参照)
今日、わたしたちに向けて、「キリストと共に復活させられたのですから」と語られています。
近視眼的な生きざまでは、目の前の評価や賞賛、楽しみや報酬に心が奪われます。
けれども、わたしたちの信仰の模範であるイエスさまは違いました。
「…このイエスは、ご自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。」(へブル12:2)
さあイエスさまを知ることで、わたしたちの目を上に向けていただきましょう。
- 祈り 天の父なる神さま。わたしは、イエスさまの歩みに心を向けて、自分の思いを探られています。どうかわたしの人生と歩みを守り導き、用いてください。あなたが下さる天上での報いを期待して、誠実にこの地上を歩む者としてください。