わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★そこに祝福があります

肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。

(へブル人への手紙12:10)

訓練には、目的があるからこそ意味があるはずなのですが、それが見失われ、理解が共有されないと、”虐待”とか”ハラスメント”になるのかな、と思っています。

父なる神さまは、わたしたちを祝福し、霊的に成長させる目的で、わたしたちを鍛えられると言います。

試練、問題、悩みがある時、共にいてくださる神さまを認め、求め、そして御言葉に聞き、頼りつつ歩むことは大切です。

そこでは、かならず”信仰”が求められます。本気で主を頼りとする者となることがチャレンジされるのです。

イエスさまの言葉を思い起こしましょう。
「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」

  • 祈り 愛する主よ、わたしを愛しわたしに”益となるように、ご自分の神聖にあずからせる目的で、わたしたちを鍛えて”くださることを知りました。痛い経験も苦しいことも嫌いなわたしですが、あなたが共にいてくださることで安心できます。どうかあなたへの信頼を深め、あなたの御業を見ることができるように導いてください。
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