しかし、ただひとつの日が来る。その日は、主にのみ知られている。そのときは昼もなければ、夜もなく 夕べになっても光がある。
(ゼカリヤ書14:7)

この章で、くりかえし「その日」が語られます。それは裁きの日であり、また救いの日でもあります。
その日は必ず来ることを、そしてその情景を聖書はいろいろなところで語ります。
当たり前のことですが、「その日」とわたしたちは無関係ではありません。
その日には、どんな権力や力を持つ者も退けられ、ただイエスを主として生きる人が救われ、また祝福を受けます。
主は地上をすべて治める王となられる。その日には、主は唯一の王となられ その御名は唯一の御名となる。(:5)
わたしたちの信仰がものをいう、そういう日が必ずやってくることを忘れないでください。
- 祈り 天地の造り主、歴史の主である神さま。あなたがその約束通り、イエスさまをお遣わしになった日があったように、再び主が来られ、裁きと救いの業をなさる日が来ることを、聖書を通して知らされています。わたしはその日を「救いの日」として期待し、今を生きる者です。どうかわたしの心と歩みを守ってください。