だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。
(ピリピ人への手紙1:18)

キリストの福音を宣べ伝えるのに、「ねたみや争いの念にかられて」する人もいれば、「愛の動機からする」人もいるとあります。その動機に不純さや利害が絡まることさえパウロは気づいていました。(:15-17を参照)
どんな人のどんな動機でも、キリストが宣べ伝えられていることで、素直に喜ぶことができること、これは本当に素晴らしいことです。
人の奉仕や、その動機が透けて見えるありさま、また言葉に態度に、心をざわつかせることは、自分も傷つけてしまいます。
「素直に喜ぶ、これからも喜ぶ」ことで、キリストにある視界が開けます。
- 祈り 恵み深い天の父なる神さま。わたしの心にあなたにある素直な喜びを与えてください。あなたとともに福音のはたらきの展開を喜ぶ者としてください。

