安息日を心に留め、これを聖別せよ。
(出エジプト記20:8)
この安息日について、キリスト以降その復活と完成された救いを祝う日として、教会では日曜日に移行し守られています。そして「聖日」とか「主日」と呼ぶこともあります。
それは、キリスト者として救いを祝い、神さまを礼拝する日であり、またそのことを通して自然、わたしたちは神さまとともに生きる人としての「違い」を経験します。
「聖別せよ」、それは強い命令の言葉です。イスラエルの民は、行き過ぎた律法主義による過ちもありましたが、この安息日を神にささげるということを通して、自分たちのアイデンティティを得てきました。
日と時間をささげることを通して、神さまを知り、自分を知り、その守りと祝福の中を生きることを知る。
この世的にはあまり評価されないこの礼拝生活が、かならず「霊的な違い」としてわたしたちに永遠の祝福へと導いてくれることを信じましょう。
- 祈り 主よ、わたしはあなたがくださった「聖日」を大切な日、ひとときとして週ごとにあなたにささげています。どうかわたしたちの霊と心がもっと整えられ、あなたをもっと知ることができますように祝福してください。