わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。
(ガラテヤ人への手紙2:19)
わたしは…律法に対しては律法によって死んだ…とあります。それは自分の裁かれるべき背きの罪が「キリストの十字架」によって裁かれて解決した事実を示しています。
それは神さまの側で、わたしたちのためになしてくださったことです。
だから今、わたしたちは今、その恵みの中を、神さまとともに生きる自由を経験できます。
以前のパウロは、一生懸命律法に向かい、律法に対して生き、律法でジレンマを経験していました。
そんな彼も、キリストと出会うことではじめて、「神に対して生きる」という恵みの世界に目が開かれたのです。
かつて、自分ががんばって神さまを振り向かせようとしてきた生き方から、ああ、神さまがすでに恵みの世界を用意して招いてくださっているのだと気づかされたのです。
ここにわたしたちへの招きもあります。「神に対して生きる」。また神と共に生きることは難しいことではありません。ただ受け取ることで始められます。
- 祈り 神さま、あなたがわたしを招いてくださった恵みの世界で、わたしは安心して自分の人生を生きることができます。あなたが用意し、あなたが導いてくださることの幸いを心から感謝します。