では、わたしの兄弟たち、主において喜びなさい。同じことをもう一度書きますが、これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです。
(ピリピ人への手紙3:1)
牢に捕らわれの身でパウロですが、そのような状況に妨げられない喜びを告白していました。
それが「主キリストにおいて」生きる者の姿です。
主キリストの愛に心を合わせ、その約束された祝福を信じて生きて喜びを得ています。
人が語る多くの幸いは富や地位、名誉、たくさんのものを得ることを示します。そこにはきりがありません。時には他人から奪ってでも、自分の幸せを確保しようとすることさえあります。
しかしパウロは、キリストが示す幸せを学びました。
…また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。(使徒20:35)
パウロがその牢においても喜べる理由は、このキリストとともに生きていることの確信から生まれています。
- 祈り 主よ、わたしはあなたの思いに心を重ねて行きたいと願います。どうかあなたのもとで、その喜びをもっと経験できますように導いてください。