わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。
(ピリピ人への手紙3:12)
ローマの牢に捕らえられていたパウロでしたが、はるかに大きな恵みによって捕らえられていることを告白しています。キリスト・イエスによって…と。
わたしたちが気をつけなければならないのは、地上でのさまざまな現実に目が塞がれてしまうことです。
そしてもうひとつ。自分が完全な者だ…と過信することでキリストの恵みを離れてしまうことです。
パウロは、どんな状況下でも恵みの中に自分を置きました。
事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。(エペソ2:8-9)
- 祈り イエスさま、あなたの恵みの大きさと真実にわたしの目が開かれ、その中に生き続ける者としてください。誘惑を退け、傲慢さを取り除いてください。ただへりくだって、あなたを救い主として仰ぎ慕う者としてください。