イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。
(ヨハネによる福音書11:40)
ラザロの墓の前での言葉です。そこには死という現実がありました。
死を逆行することはできないという常識の中で、イエスさまは「もし信じるなら」と言われました。
この章のはじめにイエスさまは、こう言われました。
:4-5…「(ラザロの)この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるためである」。イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
そうして「死で終わるものではない」という新たな現実(ラザロをよみがえらされた)を、イエスさまはここにもたらされました。
そこで注目すべきは、奇跡そのものではなく、神の栄光であり、その愛の証しなのです。
事実、イエスさまは、マルタ、マリヤ、そして人々の悲しみに触れ、涙し、その痛みと死の苦しみをすべて負われ、イエスさまは十字架の道を歩まれています。
イエスさまの愛は真実です。そしてそれゆえに「もし信じるなら…」という言葉は、わたしたちにも向けられているのです。
- 祈り イエスさま、あなたはわたしたちに「もし信じるなら」と、語ってくださっていることを感謝します。どうか困難や死の不安の中でも、あなたを信頼し、あなたのみわざを期待して生き抜く者としてください。