しかし、言(ことば)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
(ヨハネによる福音書1:12)
ここで「言(ことば)」は、神の御子イエス・キリストをあらわしています。
天地万物を造られた神のことばであり、”神の思い”、”神の愛そのもの”、”神ご自身”です。
この方が、地上に人となってこられた目的は、「自分を受け入れた人、その名を信じる人々に、神の子となる資格を与え」、神さまとの、親しく善い関係に招くためです。
しかし、今に至る歴史の現実は、このキリスト(神のことば)を自分の都合で、時に受け入れたり、拒んだり、無視したり、利用したり…という、人の側のゆがんだ利己主義を示します。
キリストを十字架に磔(はりつけ)にするほどの人の悪意や殺意の物語は、今も人の中で争いや悩みとなっています。
今、聖書は、わたしたちに、神のことば、神の思い、神の愛である「ことば」イエス・キリストを、ただ「受け入れる」ことへとわたしたちを招いています。
天地を造られた神さまが、どれほどわたしを愛し、あの人もこの人も愛しているか。キリストを通して知ること、受け取ることです。
そうしてわたしたちは、本当の意味で「神の子」とされていくのです。
- 祈り 主なる神さま、今の時代の悩みをあなたはよく知っていてくださいます。あなたは、人が抱く敵意や憎しみを、あの十字架で受け取り苦しみ死んでくださいました。そして信じる者に赦しをくださり、その心を神の愛へと向けてくださいます。どうか、今の時代を生きる、わたしたちを憐れんでください。あなたの愛を深く受け入れた神の子となることができますように。