試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。
(ヤコブの手紙1:12)
直面する困難を「ひどい目に遭った」ではなく「試練」として受け止める。
いやいや我慢するのではなく、主を見上げて「耐え忍ぶ」。
わずかな言葉のニュアンスの違いに見えるかもしれませんが、大きく違います。
クリスチャンは、そこで主なる神さまがわたしたちを思っていてくださり、知っていてくださり、そして顧みてくださると信じます。
そうあるために大切な事。それは、神さまから目を離さないこと、いや一歩進んで「神さまを愛し抜く」ことです。
この地上での生涯の先は「無」ではありません。神さまが、わたしたちに「いのちの冠」を備えていてくださる希望を持って。
- 祈り 今もわたしたちを知り、わたしたちと共にいてくださる、主なる神さま。今、私たちが経験している試練の中で、耐え忍ぶ力を、どうか与えてください。どんな時でも、あなたへの信頼と愛を賛美をもって表すことができますように。