こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしてるなら、わたしはキリストの僕ではありません。
(ガラテヤ人への手紙1:10)
人を救うキリストの恵みの大きさを福音として人にあらわしていく時、それが「信じられないほど」の大きさであるがゆえに誤解されるのです。
「人に気に入られようとして、そんなことを言う」という風に。
事実は違います。パウロは、人に取り入ろうとしているのではなく、ただありのままに神の側の、神さまの驚くべき恵みの大きさを語っているのです。
神の御子イエス・キリストは、わたしたちの弱さ、不十分さ、罪深さをすべて覆いつくして赦し、生きることができるように、御自身の命をも犠牲にして、わたしたちに”恵み”をくださったのです。
この恵みの大きさに目を向けて、その中にどっぷり入って生きること。
それがクリスチャンのいただいてい祝福なのです。
- 祈り 主よ、あなたがわたしをの弱さをも知り、思い、そして慈しみをもって導いてくださることを感謝します。あなたがくださる恵みの中にわたしは歩みます。その恵みの大きさを、大胆にあらわすことができる証し人として、わたしを用いてください。