アブラハムは言った。「主よどうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」 主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」
(創世記18:32)
ソドムとゴモラの町は罪に満ちた町でした。神がその町を滅ぼすと言われたとき、アブラハムがとりなした言葉がこれです。
神さまはそのとりなしにより、その町を滅ぼすことを思いとどまることを良しとしていましたが、その町に十人の正しい人もいない現実が、その町の滅びとなりました。
別のところ、あのヨナが遣わされた罪が満ちた町ニネベ、しかしその町はヨナの言葉を聞いて悔い改め、彼らは滅びを免れました。そこにも神の憐れみが表現されています。
神は正義を大切にされる方であると同時に、憐れみの神です。
わたしたちクリスチャンには、この町、この国、この世界において、地の塩・世の光とされ、またとりなしの祈り手とされていることを覚えることが大切です。
- -祈り 主よ、今わたしたちの住まう町とこの国を憐れんでください。世界を覆う敵意や不穏な動きの中で、わたしたちはとりなし祈ります。どうか憐れんでください。あなたの憐れみによって気づきを与え、主の前にへりくだることができますように。