弔いの家に行くのは、祝宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終りがある。命あるものよ、心せよ。
(伝道者の書7:2)
わたしにとって今年は、あらためて死とそこにある希望を思う機会が多くありました。
今日の聖句は、死をまじめに思い巡らすことの中にある益を語ります。
直前にこうもありました。
だれにも訪れる死を見た時、生きているわたしたちもまた覚悟をうながされます。
「そこには人皆の終りがある。命あるものよ、心せよ」と。
そこで、神さまの永遠の視点から見た理解を思い起こすのです。
キリスト教の葬儀は礼拝です。すでに神のみもとで安息を得ている故人を思い、神が生と死のすべてをおおい、永遠の命と希望を約束してくださっていることを覚えるのです。
葬儀では確かに、しばしの別離ゆえの悲しみはあります。けれどもそれ以上の神由来の希望を新たにすることができるのです。
- 祈り 主よ、わたしはキリスト者の葬儀に参列できる幸いを覚えています。そこであなたを礼拝し、あなたの永遠の祝福を思うことができるからです。今、生かされていること。そして時至って、この世を去り主のもとに帰るときについても”心する”ことのできる機会としてくださっていることを、感謝します。