わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★思い上がって堕落する前に…

ところが、彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し、自分の神、主に背いた。彼は主の神殿に入り、香の祭壇の上で香をたこうとした。

(歴代誌下26:16)

ユダのウジヤ王の生涯は前半と後半で真逆です。前半にはこうあります。

 神を畏れ敬うことを諭したゼカルヤが生きている間は、彼も主を求めるように努めた。彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた。(:5) 
 ウジヤは、神の驚くべき助けを得て勢力ある者となり、その名声は遠くにまで及んだ。(:15)

 しかし、彼はその後半の人生において、思い上がり、自分の分を超えた祭司の務めにまで自ら手を出そうとして、神に打たれその後世、重い皮膚病を患い悩まされました。

最近、わたしは「信仰とは神を頼りとすること」と、繰り返し言葉に表しています。それを忘れたら、途端に思い上がり、人は自力や他の力を頼りにするようになるからです。

礼拝は、ある意味ウジヤにとってのゼカルヤのようです。わたしたちの生活を、さまざまな不純や思い上がりから聖別してくれることに気づかせてくれるからです。

  • 祈り 主よ、わたしの心を探り、わたしの思いをへりくだりへと導いてください。あなたを頼りとする日々の生活を祝福してくださいますように。
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