肥えた牛を食べて憎み合うよりは 青菜の食事で愛し合う方がよい。
(箴言15:17)
愛し合うことの優位性、圧倒的な大切さを語ります。
今、世界でも身近でも憎しみを火だねとした争いが絶えません。
争う理由に、それぞれ正当性があるように聞きます。
憎しみを持つことは当然だとも言われます。
イエス・キリストは、そんなわたしたちの世界に入ってこられて、そして愛を語りました。
いや、言葉だけでなく愛してくださいました。
理由もなく憎しみを向けてイエスさまを十字架につける人たちのために、イエスさまは苦しみを背負われ、そしてその罪の赦しをとりなしてくださったのです。
憎しみを受けて、なお愛することで人の罪を覆う、それがイエスさまの姿です。
この方の赦しの中でわたしたちは、今、どんな憎しみの正当性があろとも「愛し合う方がよい」と言うことができるのです。
- 祈り イエスさま、あなたの苦しみといのちの犠牲を通して、わたしの罪をも覆い赦してくださったことを心から感謝します。わたしも愛する者となることができるように、その愛を満たしてください。