イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。
(ルカによる福音書3:23)
宣教のはじめ、イエスさまへの人々の認識は「ヨセフの子」、つまりあの大工の息子…ということでした。
そこからの違いは、「宣教を始められた」歩みが始まったということでした。
わたしたちクリスチャンも救われて当初の周囲の認識は、それまでと変わらないと思います。
ただ、当の救われた人は、確かにその歩みが変えられていきます。
それが時と共に、周囲の人の認識になるでしょう。
わたしは学生時代に救われてしばらくして、友人たちに「何か大きく変わったね。何があったのか?」と尋ねられて、友人たちに自分の救いを証しする機会が与えられました。
賛美に「わたしは変えられた♪」というフレーズをもって賛美するものがあります。
その賛美をしながら、わたしはどんな風に変えられたか、思いめぐらす時を持つことができれば感謝ですよね。
- 祈り 主よ、あなたがわたしをかつての罪の中から救い、あなたに立ち返る者としてくださいました。そこからわたしは変えられました。わたしの存在が、あなたの栄光を少しでも反映するものとされているならば感謝です。どうか導いてください。