わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★”見る”ことができるように

「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事をみようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉おけに寝かせてある乳飲み子を探し当てた。

(ルカによる福音書2:16-17)

羊飼いたちは、その夜、神の栄光と天使たちの軍勢の賛美を目撃したのち、また元の野宿のしていた夜の風景の中におかれました。

けれども彼らの心は、天使たちの言葉にとらえられて出ていき、ついに飼い葉おけに寝かされている乳飲み子イエスさまを探し当てたのです。

見たのは小さな赤ちゃんです。あの天使たちのように光り輝いていた…というわけではなく、飼い葉おけ(家畜のエサ箱)に寝かされた、この世の都合の底辺におかれた誕生でした。
けれども彼らは、その姿を見て「この方こそ救い主!」と確信できたのです。

 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(:20)

わたしたちの信仰の目もまた、神の御言葉によって開かれていることが大切です。
この世の現実にも、投じられた神の希望の光を”見る”ことができる者として召されていることを大切にしましょう。

  • 祈り 主よ、わたしたちに与えられた幼な子こそ、救い主であったことの聖書の証言を心から感謝します。その誕生、そして十字架と復活に至るその生涯を通して、わたしたちは、神の救いのわざと恵みの大きさを経験しています。 この世の暗い現実が圧倒的に見えるようなわたしたちですが、あなたはわたしたちに、御言葉による希望の光を与えてくださっています。どうか、あなたを信じて御声に聞き、あなたの御業を見ることができる者としてください。
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