「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。…」
(エレミヤ書33:3)

そのとき、エレミヤ自身は獄舎に閉じ込められたままでした。でもそこで、神の言葉が臨み、そして語り始めたのです。「わたしを呼べ」と。
神さまに目を向けて、呼び求めることが、わたしたちのなすべき最初のことです。
そうして、神さまの計画を聞くことができます。
つまり、目を向けず背を向けたままで、聞くことはできない、…ということです。
そうやってエレミヤは、神のご計画と将来を語りました。
しかし、見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復をもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。(:8)
現実は問題だらけ、自らも獄にとらえている。そんな中でも、エレミヤは神を求め、神に聞き、祝福された将来を思い見て、語り続ける、まさしく神の人でした。
わたしも、ならう者でありたいと願います。
- 祈り 主よ、わたしはあなたを心から「わたしの神、わたしの主」と呼び求めます。どうかわたしの心をひらき、聖書にある将来と希望を、あなたの言葉として信頼し、聞き取り、それによって生きる者とならせてください。どうかわたしに聞く耳を与えてください。