魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。
(ヤコブの手紙2:26)

ここでは、アブラハムやラハブの信仰とその行いを例に挙げて話しています。
これを、律法的にとらえるなら、この言葉は、わたしたちにクリスチャンぽい生き方を強いる言葉に聞こえるでしょう。
わたしはこう聞いています。わたしの心と体に健康をもたらす言葉だと。
信仰を心にとどめているだけで、生き方や生活を別にしているなら、わたしという人は、バラバラになったような自己矛盾に苦しみます。
でも信じたように生きるならば、わたしは心も歩みも一致した、安定した私になることができると。
安定した心は、自然その行いも伴い、一致するようになる、わたしはそんな風に聞いています。
- 祈り 恵み深い天の父なる神さま。あなたの言葉は、わたしを霊の糧です。霊の糧は、わたしの心と行いを健康にしてくれるものです。どうか、あなたを信じて生きる、わたしを、あなたの恵みと平安をもって包んでください。

