神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。
(コリント人への第二の手紙7:10)
悲しみは辛い…、という意味ではどちらも変わりません。
しかし、この悲しみがその人の中に働いて、何を生み出すかで違いが出てきます。
悲しみを通して、本当に大切なことに気づくことです。
それは、何よりも神さまとの関係の回復です。
ルカ15章の放蕩息子は、その挫折の悲しみを経て、お父さんのもとに帰ることにしました。聖書は、「彼は我に返って…」と表現します。
それが、いわゆる「悔い改め」です。
そうやって彼は、彼をずっと待っていたお父さんの姿を見い出すことができたのです。
父なる神は、わたしたちを待っておられます。 神さまのもとにもっていくとき、悲しみは悲しみで終わりません。最も大切なものに気づくチャンスとなるのです。
- 祈り 神さま。わたしたちは自分を中心で生きている時、目がふさがれて、大切なものが見えない、気づかないでいることがあります。どうかわたしの心を砕いてください。本当に大切なものに気づく心を与えてください。