こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。
(エペソ人への手紙 4:25)
「偽り」や「うそ」が必要な人間関係とはどういうものなのだろう?
なぜ、真実を言えない、伝えられないのだろう? うそが方便でなければならない…のであれば、だれに真実を語っていると知ることができるのだろうか。
教会は、キリストに愛されていることでお互いを知り合う人たちの交わりです。
その中で、相手を批判するためでなく、愛をもって真実を"語ること"と、そして"聞くこと"ができる関係が備えられていればよいですね。
皆、キリストの赦しと愛の中にある大切な存在なのですから。