わたしは聖なる者であるから、あなたたちも聖なる者となりなさい。
(レビ記11:45)
旧約時代の生きざまで”聖なる者となる”というとき、食べ物の聖別や生活習慣の聖別が挙げられます。それはすべて周囲にある異教の偶像の神々に従う生活と区別するものでした。
今、わたしたちは、イエス・キリストの十字架の贖いによって、利己的な罪や偶像礼拝から解放されています。
でも、救われたら何をしてもいいというわけではありません。
救われた者として、いかに自分はふさわしい者として歩めるか、上よりの知恵が必要です。
キリストは完全なに人としてこの地上を生きながら、「…罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」(ヘブル4:15)
この方が、わたしたちの知恵そのものであり、また模範です。
今日の御言葉をキリストの言葉として聞くと、より一層わたしたちに迫るものがあるのではないでしょうか。
- 祈り 愛する主よ、あなたこそ聖なるお方として、わたしたちの見るべきお方、倣うべきお方であることを教えられています。どうか、わたしたちの自己中心の罪、この世の惑わしの中での頼りなさをゆるし、癒し、そして霊に満たしてお用いください。