「わたしは…人間が見るようには見ない。人は目に映(うつ)ることを見るが、主は心によって見る。」
(サムエル記上16:7)
「目利き(めきき)」の人は、その経験や習得した知識から、その物の何を見、どう判断するかを知っています。老齢に達した預言者も、サムエルもその一人でした。
けれども、神さまは、そんな目利きよりもはるかにまさった人です。
だから、まだ少年であったダビデを、次の王として示すことができました。
「主は心を見る」という言葉が、わたしの心を刺します。
わたしたちがどんなに隠そうと、神さまはわたしたちの心を探り知る方です。
だから、自分の心のありさまを、主にあって清めていただきましょう。
- 祈り 主よ、あなたの思い、あなたの言葉によって、わたしの心を清めてください。自己中心で愛のないわたしの心を清め、癒し、あなたを愛する者としてください。