しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
(ヨハネの第一の手紙 1:7)
大阪ローカルの「あるとき?、ないとき♪」という”5○1のブタ△ん”のCMを思い出します。
あるかないかで、現実の生活が大きく変わる…というのです。
さて「イエス・キリストの十字架の御業がないとき」、罪と惑わしの中、神さまの光は遠い存在でした。
私たちは暗闇の中で氾濫するさまざまな生き方に迷うばかりです。
しかし「イエス・キリストの十字架の御業があるから」、私たちは現実の生活を神さまの光と導きを頼りに安心して生きることができます。
さあ、ぜひとも「イエス・キリストの十字架がある」人生を歩みましょう!