それで、私は、その四十日四十夜、主の前にひれ伏していた。それは主があなたがたを根絶やしにすると言われたからである。
(申命記9:25)
モーセが率いたイスラエルの民は、神を何度も裏切り、心をこわばらせ、神を怒らせました。
その民をとりなすために、モーセは神の前にひれ伏していたのです。
わたしがここから学ぶのは、決して神さまを軽んじるその罪の深刻さを知らなければならないということ。
そして、そんなわたしのためにとりなしてくれている存在がいるということです。
イスラエルの民にとって、それはモーセでした。
わたしにとって、それは教会のみなさん。そしてだれよりも、イエス・キリストというお方です。
だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。(ローマ8:34)
キリストは、わたしたちの深刻な罪の呪いをすべて受けて十字架にかかり死んでくださいました。そしてよみがえって、今もわたしたちのためにとりなし祈ってくださるのです。
これがどれほど幸いなことか! 心から感謝しましょう!
-祈り 主よ、あなたが今もわたしためにとりなしてくださっていることを、心から感謝します。あなたの愛のもとに立ち返り、誠実に歩む者となれますよう導いてください。