だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うように努めなさい。
(テサロニケ第一の手紙5:15)
「悪をもって悪に報いる」…。しばしば映画などで「法を犯してでも復讐する」というような主人公が描かれ、それを人はどんな風に感じているのだろうかと思うことがあります。
もし、まことの神、正義の神がいないなら、「やられ損は我慢ならない、倍返しだ?」となるのでしょう。
しかし、まことの神、正義の神がおられる。しかも私と共にいてくださると知っているならば、すべてを神さまにゆだねて、次に自分がなすべきことが決まってきます。
とは言え、悪事で傷つき、多くの失ったものがある時、わたしたちの気持ちはそこについていけないかもしれません。そんなとき、傷つけられののしられ侮辱されても、ただ神さまに目を向け、とりなし祈った十字架上のイエスさまを思い起こすことです。
- 祈り 主よ、あの十字架上で、あなたをののしる人たちをどのように思っておられたのでしょうか?そこでもなお、そのひとたちを憐れみ愛することをやめなかったあなたの愛の真実を思います。どうか、わたしの中にその愛を注いでください。