彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
(イザヤ書 53:3)
受難のイエス・キリストを預言する旧約聖書の言葉です。
わたしは、これを読むたびに心を深く探られます。
イエスを「悲しみの人」と呼ぶ。もし私たちならそのような人を、当然心に留めて、気遣うだろうと思います。でも聖書ははっきりと「われわれも彼を尊ばなかった」と語るのです。
キリストが私の身代わりとして十字架で死の苦しみを味わわれた。そのことを知りながらもなお、私は日常の生活で、過ちを犯すことがある。それもまた「彼を尊ばなかった」ということそのものだと気づかされます。
キリストの苦しみと孤独の深さがどれほどであったか、そのことを知ることで、私たちの赦しがどれほど真実であるかを知るのです。
神の愛の真実と深さに圧倒されるのです。