わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。
(ヨハネの第一の手紙 2:1)
「いっぱい善いことができますように!」ではなく、「罪を犯さないようになるためである」というのが、ここで語られていることです。
なんて後ろ向きな…と思うかもしれませんが、それほど「罪」の問題は深刻で、何よりも神さまを悲しませるものだということです。
自分が犯した罪で、誰かを悲しませていることに気づかないでいる…。それが罪の現実です。
だからイエスさまに目を向けてください。
イエス・キリストは、その悲しみのすべてを十字架で身に受けながら、とりなしてくださっています。
自分で気づかないでいる。そして解決できない「罪」と悲しみの問題。そこにイエスさまが触れて癒してくださるのです。
- 祈り イエスさま。わたしが気づかないでいる罪と過ちのゆえにあなたが苦しんでくださったこと。ありがとうございます。どうか、気づきを与え、そしてゆるしの中で、誠実な歩みをしてくことができますように祝福してください。