わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。
(テモテ第二の手紙2:13)
自分が見る誠実さのはかりと、相手が見る誠実さの基準とに違いがある時、それは「誠実」とは評価されません。
そのために相手を傷つけ、また自分自身が傷つき、また神様を悲しませていることがある。
「こう言う事情があるから」と申し開きがある時点から、自分の不誠実さを弁護しているとしか言えないのです。
イエス・キリストの十字架への歩みを見る時、イエスさまは自分の都合や正しさで、人を傷つけたり裏切ったりすることはありませんでした。
一つの申し開きもせず、ただ愛と慈しみをもって一身に十字架上での苦しみを負われました。
ただ傷を受け苦しみを負われ、わたしたちを愛してくださったのです。
「キリストは常に真実であられる」。この言葉は、本当に私の救いです。
- 祈り イエスさま。あなたの真実な愛の姿に心打たれます。自分の誠実さを取り繕う不誠実さをおゆるしください。