わたしたちは、今は、鏡におぼろげに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、その時には、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
(コリント第一の手紙13:12)
「その時」は必ず来ます。それがわたしたちに与えられている希望です。
それぞれの人生で背負う、さまざまなハンデや困難、また予期せぬ苦難や問題。そこで、わたしたちは、わたしたちを愛しこの人生をゆだねてくださった神さまを見上げます。
そしてこの神が遣わされたひとり子イエス・キリストの姿を思いめぐらせながら、祈ります。
イエスさまが、その十字架の受難の人生を真実な愛と信仰と希望によって歩まれたように、わたしも、神を信頼し、望みを告白し、ただ愛することに誠実に生きることができますように、と。
「その時」は必ず来ます。そのとき、わたしたちの人生が神の愛と配慮のもとにあり、どれほど意味あるものであるかが明らかになるでしょう。
そして何より、神がこの私たちをどれほど愛してくださっているかがわかるのです。
- 祈り イエスさま、あなたに心を向け、あなたの思いにここを重ねて生きていきたいと願います。周囲の状況の変化や気分に流されやすいわたしを、きよめ、整えて、信仰と希望と愛を手ばなさずに歩むことができるよう、導いてください。必ず来る「その時」に至るまで。