卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。
(詩篇119:71)
苦しみにあったことや、卑しめられたことさえ、「良いこと(さいわい)でした」、と振り返ることができる。それがまことの神を知る、信仰者の証です。
苦しみの中でも、神さまが共にいてくださる。気づきを与え、感謝を与え、そして導きを与えてくださることを経験するのです。
聖書の掟は2つに集約されます。「神を愛すること、また自分を愛するように隣人を愛すること」です。
苦しみの中を通ることで、自分が謙虚にされ、愛されていること、愛することの本質を学ぶことができるのですね。
- 祈り 主よ、今日の御言葉を心から感謝します。苦しみや卑しめをも、神さまが共にいてくださるならば、そこにあなたの祝福があり、学びがあることを示されました。今日、どんなところを通らされても、主への感謝をもって歩むことができますように、導いてください。