「静かにしなさい。今日は聖なる日だ。悲しんではならない」。
(ネヘミヤ書8:11)
捕囚からエルサレムに帰還し、念願であった城壁の修復を完成できました。
そこで神の御言葉が、説き明かされました。民はそれで深い罪の自覚の中、悲しみを覚えたのです。
しかし、その場でネヘミヤは民に向かって、神さまの憐れみとゆるしの大きさ、自分たちを支えてくださった祝福のゆえに、悲しみをやめ、喜ぶように促します。この日は聖なる日、喜びの日だと。
わたしたちも御言葉から、自分の罪深さに深く悲しみを感じることがあるでしょう。しかしそこで大切なのは、そんなわたしたちのためにキリストの福音が与えられていることを味わい知ることです。
どんなにわたしの罪が深くても、このキリストの福音によってわたしの罪の代価は支払われ、わたしたちは赦され、神の子とされているのです。
礼拝は、わたしたちに喜びを示します。わたしたちが喜ぶ時なのです。
-祈り 主よ、あなたが完成してくださったゆるしと救いを、心から感謝します。わたしはあなたの御業を喜び、またあなたの真実のゆえにあなたを礼拝します。もっとこの喜びの礼拝が、この地の民の心にも届きますように、祝福してください。