わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★御子に望みをかけている

御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。
(ヨハネの第一の手紙3:3)

今、JAG公式サイトで連載中の坂本キミ師の証の記事にこういうものがありました。
 「…しかし自分なりの理屈はありました。即ち信仰は拾てていません、毎日祈っています、聖書は読みます等と…。だがキリストの体である教会から離れて心に喜びがある筈がありません。私の心は日増しに渇いて苦しみ始めました。」
その霊的飢え渇きをきっかけに、彼女はキリストのもとに立ち返ります。
https://j-ag.org/ag-article/kimi-sakamoto-04/

わたしたちの清さの理由は、わたしたちの側にはありません。キリストの十字架にあります。
ほかにはありません。だからキリストにつながっていることこそ大切です。
 
「御子(イエス・キリスト)にこの望みをかけている人は皆」とあるその望みは、再び来られるキリストによって、わたしたち自身もまた、キリストと同じからだをいただき、永遠の祝福に入れられることです。

だから、主に立ちかえること、主にある清さをいただくことはは、何ものにもまさる幸いなことなのです。

  • 祈り 主よ、わたしの望みは再び来られるあなたにあります。その日を待ち望み、あなたにつながり続け、そしてあなたの清さをいただきます。どうか今日も、御言葉によってわたしを導いてください。