いかに幸いなことでしょう。主の定めを守り、心を尽くしてそれを尋ね求める人は。
(詩篇119:2)
わたしたちは、ボーっとしていて神さまの道を歩むのではありません。
また好き勝手をした結果、神さまの御心を行えるわけでもありません。
旧・新約時代にそうであったように、今もわたしたちは神さまの言葉に歩むべき道を見いだします。
どんな時代状況の中でも、主を求めて祈りつつ御言葉に耳を傾け、導きを求めていく時、諭(さと)しがわたしたちの心に与えられます。
聖霊が、その御言葉を通してわたしたちを導いてくださるのです。
そして、聖書はそういう人を「いかに幸いなことでしょう」と表現するのです。
- 祈り 主なる神さま。今、わたしはあなたの御言葉に耳を傾け、あなたを思う者とされていることを感謝します。どうかわたしの霊の目を開き、この困難な時代の中で主の御言葉を通して思うべき思い、歩むべき道を知ることができますよう諭しを与えてください。