イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
(ヨハネによる福音書20:29)
トマスは、復活のイエスさまが最初に弟子たちに現れた時、そこにいませんでした。
なぜ自分だけが…という思いの中、実際にお会いするまで信じないと公言していたのです。
そうして8日後にイエスさまは再び現れ、そのトマスに声をかけてくださったのです。
すべては、神さまのご配慮とご計画の中にありました。
彼の体験と告白、そしてイエスさまの言葉は、今それを聞くわたしたちの信仰の告白と心を探ります。わたしたちもこの目で見てはいません。でも信じているからです。
聖書はわたしたちに、いわゆる科学的証拠を提示するのではなく、その事実を語り、わたしたちに「信じる」ことの祝福と希望へ招いています。 「見ないで信じる人は幸いである」と。
聖書を通して、神が、そしてイエスさまが、どんなにわたしたちを愛してくださっているか、どれほど真実で大いなる方かに感動します。そして聖霊なる神さまがわたしたちに気づきを与えてくださいます。
聖書のことばを通しての気づきと感動に、すなおな信仰の応答ができれば感謝ですね。
- 祈り 主なる神さま。あなた真実な愛と救いのみわざを心から感謝します。わたしはあなたを信じ、あなたと共に歩みます。どうか導いてください。