わたしは、彼の汚れと罪に応じて行い、わたしの顔を隠した。
(エゼキエル書39:24)
「旧約の歴史はイスラエルの不信の歴史であり、神のゆるしの歴史である」と言われた牧師がいます。このところは、神への背きの罪のゆえにイスラエルの民は外敵による蹂躙を受けた実的で悲惨な状況を描きます。
ただ神さまは、それで終わりにせず次の回復へとつなげます。
この後の25節にはこうあります。
それゆえ、主なる神はこう言われる。今やわたしはヤコブの繁栄を回復し、イスラエルの全家をわが聖なる名のゆえに熱い思いをもって憐れむ。(:25)
福音の時代を生きるわたしたちは、イエス・キリストがわたしたちの身代わりとなってその背きの罪のすべての呪いと刑罰受けて死んでくださったことを知っています。
それは、信じる者が、信じるだけで救われるためです。
今、わたしたちはこのキリストから目を離さずつながり続けて生きることこそ大切です。
わたしたちはまさに「神の救いの歴史」の中に生きる者とされていることを心から覚えて。
- 祈り 主よ、わたしたちが自分の罪の深刻さに目を留める時、そこに滅びにつながる深刻な呪いしか見えません。けれども今わたしたちには、十字架で死なれよみがえられたイエス・キリストを信じています。その恵みの真ん中を生き抜くわたしたちとしてください。