種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。
(マルコによる福音書4:14)
普段、種まきのたとえを聞くとき、神の言葉を聞く自分の心のありさまが問われていることに注目していました。
今日のこの節だけを取り上げるとき、わたしは福音を宣べ伝える者として「何を蒔くのか」を示されます。
純粋に神の言葉を蒔く者でありたい…と。
さまざまな状況の中でパウロは福音を宣べ伝えました。彼は言います。
1コリント2:1-2
兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。 なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。
そのパウロは当時絶好調ではなく、「わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」(:3)と告白するほどでした。
だからこそただ神の言葉に頼る。神の言葉を蒔くことすべてをかけていたのです。
2:5 それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。
- 祈り 主よ、どうかわたしがキリストの言葉、キリストの十字架の福音の真実をありのままに語り継ぐることができますよう、どうかわたしを用いてください。