「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。…」
(マタイによる福音書12:18)
イエスさまが安息日に癒しを行ったことで腹を立てたパリサイ派の人たちは、イエスさまを殺そうと相談し始めました。
彼らにとって、イエスさまは自分たちが望む歩みをしない、意に沿わない人、気にいらない人でした。
しかし聖書を見るとイエスさまのありさまは、預言者イザヤを通して預言されたメシアそのものであり、まさに「わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者」と証言されるものでした。
気をつけないと、わたしたちの物事の判断が自分中心になり、それが神さまの思いと異なる…ということになりかねません。
おそらくマタイにとっても、ああ、イエスさまはまさにこのように生きておられたのだ…という気づきにつながった言葉だったでしょう。
同じイザヤの言葉は、神の思いについてこうも語ります。
イザヤ55:9 天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている。
- 祈り 主よ、わたしの価値観や思い、善悪や好き嫌いの判断は、自分中心の自分の気に入る気にいらない…というものになりがちです。どうか何事においても気づきを与えてください。まず神さまの思いの前に、自分自身をきよめていただけますように。