誰かが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。
(マタイによる福音書5:41)
このあとにはこういう風にも語られます。
:44しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
「誰かが」…から、「敵を」「自分を迫害する者のために」と相手がより具体的になるにつれ、わたしたちは自分の思いや態度が問われます。はたして自分はそんな風になれるか…と。
イエスさまのありさまを見てみましょう。
ご自分を十字架につけた上に、さらに侮辱する人々のすべて受けとめ、とりなし、その人々を最後の最後まで愛しぬかれました。 それは恥と敗北の極み、大損でしかない…というのが人の評価でしょう。
しかし、神さまは、このキリストに死からの復活をもって、勝利をくださいました。
神さまは見ておられ、また知っておられます。
侮辱に対して侮辱で返すという負の連鎖が罪の世界なら、愛で返すキリストは、負であるものを正しく変えるいのちと希望の世界をもたらすお方です。
たしかに人は自分の力で、そんなことはできません。だからこのキリストについていき、その力をいただきましょう。そこで神さまが、負の連鎖ではない、違いをくださいます。
- 祈り 主よ、わたしはよく自分の損得を行動の基準としてしまい、時に負の世界を広げてしまっています。どうかあなたのアガペーの愛(無償の愛)を、私にください。キリストにならい、命と希望をもたらすことができますように。