怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで 怒ったままでいてはいけません。
(エペソ人への手紙4:26)
だれもが経験する「怒り」の感情が厄介なのは、それが怒る人自身の人格や生活を蝕(むしば)むものとなるからです。
神はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配しなければならない。」(創世記4:6-7)
創世記4章に記された、アダムとエバの子どもたち、カインとアベルの物語です。兄カインは、その怒りによって神から目を背け、やがて実弟アベルを殺します。
何よりも恐ろしいのは、「怒り」がそれほどの「罪」に結びつく可能性があるからです。
怒りによって起こす行動は、どんなに正当化しようとも、ゆがんでいるものです。
だから、そんな時、わたしたちへの愛と憐れみによって十字架の苦しみをも負ってくださったイエスさまを見上げましょう。
そして祈りましょう。どうかわたしの怒りを癒してください…と。
相手次第ではなく、わたしたちには、実は主イエスさまの主の助けが必要なのです。
- 祈り 主よ、わたしの怒りの感情を治め、癒してください。怒りではなく、あなたの思いでわたしを満たしてください。いつでも変わることのない、あなたの愛と憐れみによってわたしの心も満たされますように。