わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★あなたならどうする?

…そこでダビデは立って、ひそかに、サウル王の上着のすそを切った。しかし後になって、ダビデはサウルの上着のすそを切ったことに、心の責めを感じた。

(サムエル記上24:4-5)

しつように自分のいのちを狙うサウルが、無防備に自分たちの前にいる。
ダビデの従者たちは、これは主が与えてくれたチャンスだとダビデをけしかけます。

しかし、ダビデは、そこでサウルの上着のすそを切りとったことそのことにさえ、心に責めを感じるのです。
「主が油注がれた王に、わたしがこのことをするのを主が禁じられる」と。

ひとつの状況のもと、従者たちとダビデの間では「主なる神」を前に死ながら、その理解・判断は大きく異なっています。

あなたならどうするでしょうか?

それは、目にしている状況を、自分中心の理解で判断し、神をも判断しようとするのか。
その状況下でも、神が語られている言葉を思い、それに忠実であろうとするかの違いです。

真逆の判断、そこにわたしたちも自分たちの歩みを照らし見ることは大切だと思わされます。

  • 祈り 主よ、色々な状況に置かれて、わたしの理解と判断を、どうかあなたの言葉によってきよめてください。あなたの御心を自分中心の理解でゆがめることなく、まっすぐにその思いに聞き、そして従う者としてください。
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