それは一体どういうことか。彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで神の誠実が無にされるとでもいうのですか。決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。
(ローマ人への手紙3:3-4)
ユダヤ人たちには神の言葉がゆだねられている点で優れている(:2)としながらも、その不誠実さをまっすぐ指摘するパウロ。
そんな彼も、その民の不誠実によって神も不誠実である、とする言葉に対しては、繰り返し「決してそうではない!」と答えます。
テモテへの手紙でもこう記します。
「わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである。」(2テモテ2:13)
あやまちを犯しやすいわたしたちにとって、変わることのない神の真実は、信仰のよりどころです。
わたしたちは、いつも真実な神さまのもとに帰ることができる。
それがキリスト者が経験している恵みです。
- 祈り 恵み深い天の父なる神さま。あなたはいつでも真実なお方です。わたしはあなたの真実に頼ります。過ちを犯しやすいわたしに気づきと悔い改めを与え、正しい道へと導いてください。