わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★罪と言われています

人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。

(ヤコブの手紙4:17)

クリスチャンであれば、「主の御心であれば」それをしよう(:15)とすることの大切さを知っていると思います。

それなのに、”自分を誇る”ための生活が中心となっているではないか、そう問われるのです。
前節では、「そのような誇りはすべて、”悪いこと”です」(:16)と言われます。

そして、この節では、「その人にとって”罪”」との指摘のあるありさまが指摘されています。
人がなすべき善を知りながら、それを行わないことです。

自分はどうだろうか…と、心が探られる、はっきりとした言葉ですね。

  • 祈り 主よ、わたしに気づきを与えてください。日常で、自分が中心になり、自分しか見えていないことがあります。どうか主のまなざしと御心がどこに注がれているか、憐れみがどこに向けられているか、知ることができ、またそこにわたしの目も向けられますように導いてください。
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