人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。
(ヤコブの手紙4:17)
クリスチャンであれば、「主の御心であれば」それをしよう(:15)とすることの大切さを知っていると思います。
それなのに、”自分を誇る”ための生活が中心となっているではないか、そう問われるのです。
前節では、「そのような誇りはすべて、”悪いこと”です」(:16)と言われます。
そして、この節では、「その人にとって”罪”」との指摘のあるありさまが指摘されています。
人がなすべき善を知りながら、それを行わないことです。
自分はどうだろうか…と、心が探られる、はっきりとした言葉ですね。
- 祈り 主よ、わたしに気づきを与えてください。日常で、自分が中心になり、自分しか見えていないことがあります。どうか主のまなざしと御心がどこに注がれているか、憐れみがどこに向けられているか、知ることができ、またそこにわたしの目も向けられますように導いてください。