神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。
(コリント人への第二の手紙 5:21)
歴史的な冤罪による死刑。それがイエス・キリストの十字架刑でした。
当時、キリストを殺したいと願った祭司長・律法学者、民の長老たちは、ローマの権力を利用して冤罪をでっち上げ、それを成し遂げたかのようでした。
しかし、実はその背景にはもっと大きな神さまの愛のご計画があったのです。
それは、その人たちと私をも含むどうしようもない罪びとのために、その罪なき方を身代わりとして罪をゆるすことでした。
神さまが私たちをどれほど愛し、どれほどそのために苦しみを負うて下さったか…。
どうか、そのことに心を開いて気づいてもらえれば…、そう願っています。