高慢には軽蔑が伴い、謙遜には知恵が伴う。
(箴言11:2)
聖書が語る高慢さは、一言で言うと「自らを誇るゆえに神さまを求めない驕(おご)り」と言えるでしょう。
天地万物、全宇宙のすべてのものも、法則もいのちも、長い時間と偶然によってできたものだということもまた、そこで創造主なる神さまは無視されています。
同志社大学の創始者・新島襄が、その若かりし頃に聖書を抜粋した小冊子を読んでこう告白したと記録があります。
「私はその本(聖書)を置き、あたりを見まわしてからこう言った。『誰が私を創ったのか。両親か。いや、神だ。私の机を作ったのは誰か。大工か。いや、神は地上に木を育てられた。神は大工に私の机を作らせられたが、その机は現実にどこかの木からできたものだ。そうであるなら私は神に感謝し、神を信じ、神に対して正直にならなくてはならない』」。
謙遜に神に目を向け始めた彼の生きざまが変わります。それが知恵の始まりとなっています。
- 祈り 天地の造り主なる主よ、今、わたしたちが与えられているすべての恵みを心から感謝します。心からあなたを認め、またあなたからの知恵を求めます。どうか導いてください。