人の心の高ぶりは滅びにさきだち、謙遜は栄誉にさきだつ。
(箴言 18:12)
「私は謙遜です」と自分でいう人はあまり見たことがありません。
もし、謙遜にふるまうことで、自分への称賛を望んでいるのであれば、どこかおかしと気づかれます。
「謙遜」は人に見てもらうためのパフォーマンスではなく、自然とそう気づかれる心の姿ではないでしょうか。
世の中では、見える「自分アピール」が求められますが、信仰の世界では見えない「心みがき」こそが大切なんですね。
すべて神さまが気づいていてくださっていますから。