というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。
(テモテ第一の手紙4:4)
偽りを語る者の偽善や惑わしは、”禁欲主義によるきよめ”を主張します。
しかしパウロは、神さまが造られたものがすべて良いもので、「神の言葉と祈りによって聖なるものとされるのです」(:5)と示します。
この両者は対照的で、”自分の力と禁欲”で神の前に出ようとするか、”神からいただく良いものを感謝して”神の前に出るかの違いになります。
すべてを、神さまからいただいていることを知り、感謝できる者でありたいと願います。
そこで育まれる 神さまありきの価値観が、人を謙虚にします。
「日用の糧を今日も与えたまえ」との主の祈り。体と心の両面を養う神からの恵みをいただいて養われることの幸いを大切にしていたいと願います。
- 祈り 主よ、今日もあなたがわたしに良いものをいただけることを心から感謝します。どうか恵みに鈍感な心に気づきを与え、感謝する心を与えてください。