それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。
(エペソ人への手紙1:12)
それぞれ、周囲に、そして未来にさまざまな希望というものを見ているでしょう。
○○になりたい。○○のように生きたい。○○を得たい。などなど。
自分の視界に入る望みを生きる力としている人も多いかと思います。
一方わたしたちクリスチャンは、「キリストに希望を置いて」生きる力を得ます。
それは信仰の世界。不思議に感じるかもしれませんが、わたしを知り、わたしと一緒にいてくださるキリストは、わたしたちの目線を上げて視界を開き、どんな状況下でも、いのちと将来受けるべき御国の希望によって生きる者としてくださるのです。
パウロの告白は印象的です。
わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことはありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
(ローマ5:3-5)
- 祈り 主なる神さま。あなたと共に歩むことで、わたしは苦難がそれで終わらない人生へと導かれています。あなたに愛されていることを知っているからです。どうかあなたくださる希望をもって、わたしを支え導いてください。