世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
(ローマ人への手紙1章20節)
わたしは”世界が造られたとき”を見たことはありません。
ただ、その造られた世界が、わたしたちが及びもしない偉大な知恵によって造られ、今も保たれていることを、宇宙の天体の運行や自然や生命の営みの不思議とそのバランスから、わかります。
時にその感動は、思わず「すごい!」と声に出てしまうほどです。
ただ、それらを科学やさまざ生人間の知恵を結集して、なお神さまを認めようとしない人々がいることも知っています。
神が造られたというなら、その証拠を見せよ!・・・と。
わたしは科学者でも知識人でもありません。けれども、思わず「もう十分あるのでは!?」と言いたくなることはあります。
聖書は、それを、頭ではなく”心”の問題・・・として取り扱うのです。考えさせられます。
「なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです」。(ローマ1:21)
- 祈り 天地万物の造り主なる神さま。あなたのつくられたこのすべてのものがどれほどの大いなる知恵を持って造られて保たれているか、考えれば考えるほど「すごい!」と感嘆するほかありません。わたしたちをもその知恵のもとに生かしてくださることを心から感謝します。